弊社代表の友田は、大阪と能登半島を行き来する生活を送っており、能登以外の地方でプロジェクトに関わることも多い。
その中でよく感じることの一つは、都市と地方における「スピード感」だという。
弊社でマネージャーを務める山中も大阪出身だが現在は福島県に住んでおり、友田との会話のなかで地方のスピード感が話題になることがある。
ビズデザイン大阪は、地方創生に関わるコンサルティングを依頼されることも多いが、地方ならではの「スピード感」を理解していることは非常に重要であると感じている。
いわずもがな、都会(とりわけ東京)の変化のスピードは激烈だ。
再開発などのハード面もそうだし、AIとの付き合い方や、働き方・ライフスタイルといったソフト面もそうだ。
欧米を拠点とするグローバル企業の論理に遅れをとらないように必死にくらいついているようにも見える。
働き手は、変化を続ける大きな歯車の一員としてそれなりの報酬を得て、都会での暮らしが成り立っている。
かたや地方では、ハード面もソフト面も変化のスピードは遅い。
グローバル企業の進出も少なく、地元の企業が地域のニーズに合わせた事業を展開し、地域産業を支えている。
都会への人材流出はもちろん深刻だが、都会でみられるような優秀な人材の雇用の流動化は少ないので、人材や技術の囲い込みは容易であると思う。
何年もその土地の文化・慣習のなかで機能してきた地域産業に携わりながら、働き手は家族や自然と比較的に近い距離で生活することも可能である。
もちろん、自然を相手にした農業や漁業に従事している人も多い。
山中はビズデザイン大阪とは別に、福島県内の企業(本社は東京)で仕事をしているが、通勤は自転車で10分の距離だし、社内には昼休みに家に帰って高齢の親と一緒に昼食をとる人もいる。暗くなる時間には家にいた方がいいという理由で、地域での会合の時間が季節によって変わったこともあった。
夫も通勤は徒歩10分なので家族で過ごす時間も長いし、仕事の後で近くに借りている畑に行って農作業をすることもある。
週末は家族で近くの山・湖・海にお出かけということも多いのだが、都会のような渋滞や混雑とはほとんど無縁である。
都会での暮らしと比べると、合理性・効率性を考えることは圧倒的に少なく、実にのんびりとしている。
都会と地方の違いで印象的なのは、電車に乗るとき。
福島県は車社会なので、電車は基本的に1時間に数本しかない。
そのため、電車の時間をチェックせずに行動すると、駅でまちぼうけを食らうこともあり、電車の待ち時間に近くのファミレスで夕食を済ませてしまったこともあった。
また、電車に乗れば、子どもたちはどこの席に座ろうかと、ウロチョロしながら席を選ぶ。
ウロチョロしている子どもたちに対して、席を移動してくれる学生さんたちも多い。
これが大阪に帰省したときはそうはいかない。
電車は10分も待てば必ず来るが、座るためには並んでおかないといけないし、電車が来たら、窓越しに座る席を定めておかないと、即座に競争に負けてしまう。
目の前で起こることのスピード感の差。
そのスピードの中で他者と競う感覚。
電車に乗るという行為一つとっても、都会と地方では全然違う。
都会から見ると、このスピード感の差は「遅れている」と見えるのかもしれない。
しかし、都会から来て地方で暮らしていると、その差は「豊かさ」のようにも感じる。
本ブログでは、イノベーションやサスティナビリティのためには絶えず変化しないといけないと主張してきた。
しかし、文化や伝統の重みがあり、人の流動性が少なく、その土地に根ざした働き方が強い地方では、「変化」に対する外圧が少ないのだ。
もちろん、変化への対応と、変化を見越した方向性の決断は必要であるし、長く継承されてきた特性や資源も、時代に応じた変化を繰り返してきたはずである。
変化や改善が必要だからと、トップダウンで他所からのスピード感で事業を展開して、短期的な成果でもって引き上げるケースは、東日本大震災の復興事業などでも数多くみられた。
しかし、その地域のあり方を理解し、その土地固有のスピード感を含めてボトムアップで共感しながら寄り添うことが、地方でサスティナブルに仕事を進める上では非常に重要だと感じる。
地方は、さまざまな課題を抱えている。
しかし同時に大きな可能性も秘めているし、大都市に偏重している日本社会全体を下支えしているのも事実だ。
ビズデザイン大阪が地方でのコンサルティングを大事にしているのは、課題があるからではなく、可能性があることを実感するからである。
地方に関わることで問い直したり、学びなおしたりする機会を得られ、豊かさに向けた変化とはどういうものかについての貴重なヒントが得られることを感謝している。
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